はじめまして、有限会社アサカワ自動車の「浅川一(はじめ)」です。
創業者「浅川一(はじめ)」は、アサカワ自動車を昭和39年に若干23歳で創業しました。6人兄弟の中に生まれた父は、当時「これからの時代はクルマがどんどん増える。クルマの修理の需要も増えるはずだ」と、浅川家6人兄弟のうち3兄弟と一緒に、越谷市内で「アサカワ自動車」を創業しました。越谷市内に創業した「アサカワ自動車」は、地域の中古車販売店や自動車整備工場からの修理依頼を受け、実績を積み上げてきました。
創業から5年後には、丁寧で愚直に仕事をこなす姿が評判となり、修理の仕事が増えて、さばききれなくなるまでに成長しました。その頃の3兄弟は、それぞれに家庭を持ったこともあり、拡大する修理の仕事を3兄弟それぞれに受け持つこととし、浅川3兄弟は会社を複数に分けてそれぞれで仕事を受けるようになりました。そのため、越谷市には浅川と名の付く修理工場がいくつもあるのです。
昭和50年に、現社長「浅川一」が誕生、この頃には父が始めた会社「アサカワ自動車」は、地域のホンダディーラーとの取引をスタートしました。「どこかに安心して任せられる修理工場は無いのか?」と、ホンダディーラーから依頼を頂き、ホンダディーラーの修理を行なう鈑金工場として、地域のホンダディーラーの鈑金修理を一手に引き受けるようになりました。ホンダディーラーの仕事を受けるということは、当然ディーラークオリティの鈑金修理ができることが求められます。
この、ホンダディーラーとの取引開始をきっかけにして「ディーラー品質」を意識するようになりました。最新機械の導入を行い、いち早い新型車への対応を行なったり、ディーラーの修理を請け負う鈑金職人の育成にも力を入れました。メーカーの研修を積極的に受けたりと、地域で最高レベルの修理ができるよう研鑽を積みました。
ちなみに、いまでは多くの鈑金工場に入っている「塗装ブース」という設備も、越谷市で一番最初に塗装ブースを導入したのは我々の工場です。そんな風に「アサカワ自動車鈑金」は、地域一番の設備と技術力のある鈑金工場として、年間2,000台もの修理を行なう実績のある鈑金工場へ成長しました。
現社長「浅川一」がディーラーでの修行を終えて30歳で浅川自動車へ入社した頃、リーマンショックの波が我々にも襲いかかります。ディーラーのクルマの売れ行きが鈍り、私たちの工場への入庫も減少するようになってしまったのです。待っていれば仕事が来る時代が終わり、お客さんも車を買ったディーラーへ修理に出す以外に、自ら鈑金場を選ぶ時代になったのです。
そのため私たちは、さらなる品質アップを目指すと同時に、ディーラー以外の仕事も行うようになりました。たとえば、自動車保険会社の認定工場の資格を取得し、大手自動車保険会社の認定工場として、保険会社からの鈑金修理も請け負うようになりました。自動車保険会社も、アサカワ自動車の実績を評価して修理の依頼を頂きました。また創業者の時代はお断りしていた、地域のお客さんの修理も行うようになり、個人客の鈑金修理も行い、事業の安定化を図るようになったのです。
自動車保険会社から依頼を受けたお客さんや、地域の個人客の鈑金修理を行なうようになると、お客さんからの紹介を頂けたり、鈑金修理以外に車検や整備の相談を受けるようになりました。リーマンショック前は、下請け100%だったアサカワ自動車は、個人のお客さんの比率も増えて鈑金修理以外に車検などの自動車整備やカーメンテナンスの依頼も増えてくるようになりました。
「年間2,000台の鈑金修理の他に、地域のお客さんの修理もリーズナブルに提供しよう」と、地域の個人のお客さまの修理も積極的に行うようになった結果、埼玉エリアのホンダディーラー十数店舗の他に、自動車保険会社からの修理依頼や個人のお客さまで、月間120台の修理を安定して行うようになりました。
鈑金修理工場に直接クルマを持ち込むのは心配かもしれませんが、ぜひ一度、通りすがりでも構いませんので、私たちの工場を見に来ていただければと思います。多くの修理車両が入庫しているのを見て、きっと安心して頂けると思います。工場の中も案内しますので、ぜひあなたの目で見ていただれば安心して頂けると思うのです。アサカワ自動車鈑金のスタッフ一同、あなたからの修理相談をお待ちしています。